大峰・白川又川奥剣又谷右俣八経ヶ岳直登ルンゼ

1994年9月22日(木)夜~25日(日)

パーティー:L私、家内

<はじめに>

 大峰山脈最大の流域面積を誇る白川又(しらこまた)川の中でも、近畿の最高峰八経ヶ岳につきあげる本流の奥剣又谷は興味深い沢である。私は、21年前、弟と2人で白川又川林道を辿り、コブキ水電取り入れ口より遡行を開始したが、まもなく両岸絶壁の通称長淵の前にあえなく敗退した。その後、このゴルジュは大阪わらじの会でさえもボルト、ハーケン連打にもかかわらず通過に5時間も要したことを知り、一般には山越えしてゴルジュ出口のフジノトコから遡行開始していることを知った。

<9月22日>

 頼もしい三木さんが急に参加不可能となり、心細い出発となる。愛車タウンエース号にて自宅を出発(21:30)し、法隆寺、高田、大淀、柏木と走り、大迫ダムにて車中泊とする(23:55)。

<9月23日>晴れ時々曇り

 ダムを出発(7:00)し、伯母峰トンネルを抜け、小谷川林道に入るが、大栂山越え道取り付きの<山火事注意>標識を見落としたため1時間ほど迷ってしまい、取り付きが遅れてしまう(9:10)。歩きやすい道を30分程登ると、大栂山稜線上の立派な林道に出たので驚く(9:45)。ここより、白川又川へ下る道があるはずだが見つからないので、林道をしばらく白川又川側へ下って行くと行き止まりになったので、少し戻って木の間から小屋がかいま見える所より樹林帯を適当に下って行くと首尾良く小屋の前に出て一安心。ここから、明瞭な道を下って行くと、やがて流れを見おろしながら上流へと進むようになり、吊り橋が見えたところで、小道を下るとやっとフジノトコであった(12:10)。昼食、大休止の後、沢登り装備に身を固め、遡行開始(12:40)。徒渉、へつりの繰り返しで谷どおし快調に進み、中ノ又谷出合(13:15)

の8m滝は残置ハーケンが一本ある右壁のクラックより越える。小滝を幾つも越えてゆき、すだれ状の5m滝は、ザイルをつけ、私がトップで空身になり左壁の凹部より越える(14:00)。再び幾つも小滝を越えて行くと、火吹谷出合である(14:40)。途中、残置シュリンゲにぶらさがらないと乗り越せない巨岩があったので、ザイルをつけ、家内がトップで空身になって越える。。再び幾つも小滝を越えて行き、右側の赤茶けた岩壁から、湧き水がシャワーとなって頭上から降り注ぐ珍しいゴルジュを水を浴びてくぐり抜けると、

大滝10mに着く(15:30~40)。ここは、右手前のルンゼ状を20m程登ると昔の仕事道らしきものがあり、酒瓶が散乱しており、付近の平地でツェルトを張る(15:50)。

<9月24日>曇り時々晴れ

 6:50出発。大滝上流に降り立ち、快調にへつって進むが、5m程の滝の左側をザイルをつけ、私がトップで空身になってへつるところがあった。水晶谷出合手前の両壁が狭まって斜めに傾いたゴルジュは水深があるので敬遠し手前右の斜面を登る。すると仕事道にでて、これを上流へ辿ると傾斜の緩くなったところより水晶谷に降りることができた(8:15)。ここで、15分ほど迷うが、すぐ下流の20m斜滝が約5mの懸垂をまじえて案外と簡単に下降でき、いよいよ奥剣又谷に入る(8:55)。入谷してから、常に両岸壁が10~50mの高さでそそり立ち、我々を威圧し続けており、ここで、拒絶的な形相の18m滝を目前にして、

水晶谷への計画変更が頭をかすめたが、勇気を奮い立たせて、左のルンゼより高巻きを開始する(9:15)。ここで、あせって、ルンゼ右側の草付き壁に2箇所から無駄な挑戦をしてしまい貴重な時間を浪費する(10:00)。結局、ルンゼを殆ど最後まで詰めるのが正解であり、難なく上流に降りることができた(10:20)。再び、小滝を越えて行き、左から20m滝が出会う(10:35~50)とすぐに、少々面倒な5m滝に出会った。家内が、私の肩を踏み台にして、右岩のハングした凹角よりトライするがハーケンを打つリスもなく、踏みきれず、結局、ザイルをつけて釜を3m程泳いで滝に取り付き、岩の隙間を腹這いになって巧妙にすり抜けた。私は凹角をザイルに引っ張られて乗り越すが、フリークライミングの熟達者で有れば造作もないだろう(11:30)。次の、口剣又谷出合(11:40)では、本流の20m滝を左から大きく高卷き、次の15m滝(12:15~25)は左壁が登れそうだが、大事をとって、左のルンゼを詰めて大きく卷き、次の10m滝を右壁から直登すると、標高1070mで正面から支谷が(これを詰めると八経ヶ岳に至るはず)斜滝を連続させて出合い(12:50)、左右俣出合に着いた(13:20)。

 さて、ここで頭をもたげてきたのは、記録(わらじの会)によると、左俣は最後はハングしたチムニー滝下よりボロボロの壁を投げ縄によって脱出するとのことであり、投げ縄が失敗すると袋小路になるという懸念であった。それに比べて、右俣の記録(京大山岳部)ではそういう記述はない。よって、右俣に進むことにする(13:55)。ここより、谷は傾斜を増し、出合の10m滝はザイルをつけ、私がトップで空身になって右壁を直登、1270m二俣を右に入ると(14:25)、ルンゼ状になり予想外に険悪さを増してきたので、二人で不安な顔を見合わせる。10m滝は右壁を豊富なホールドに導かれて直登、3段20m滝は上段水流の左を慎重に越える。次の20m滝は直登以外道はない。ザイルをつけ、最初は私が左の凹状より登り始めるが自信がなく、代わって家内がトップになり、空身で取り付く。途中、細いブッシュで気休めのランニングビレイをとり、登り切ってハーケンを打ち、セルフビレイをとる。ザックの荷揚げでも、ザックがブッシュに引っかかり大分苦労したが、無事今山行の最悪場を足下にした(15:50)。しかし、ほっとするまもなく、20m斜滝が上に控えていた。

フリーで登れそうにも思えたが、ぬるっているので、上段のみザイルをつけ家内トップで登り切る。夢中で登っていたので気がつかなかったが、ふと時計を見ると、既に午後四時を回っていた。秋の日は短い。テント場を探さねばとあせる。が、幸い、右側の巨岩の下の岩だらけの地面をなんとか整地して、二人が横になれるだけのスペースを創り出し、ツェルトを張ることができた(16:30)。

<9月25日>晴れ

 今日は下山日なので明るくなり次第出発する(5:55)。階段状に連続する斜滝を快適に越えて行くと、1510m二俣に着く(6:10)。市大山岳部が登ったという正面の谷は奥に見えるようなチョックストーン滝の連続する悪谷だそうである。右をとり、次々と現れる小滝をグイグイとよじ登って行くと、ゴルジュの奥にかかるみるからに悪相の20m滝に出合う(6:25~35)。京大パーティーはぎりぎりのバランスで越えたそうだが、ここは自重して、右手前の樹林帯をザイルをつけ家内トップで1ピッチ登って、たどり着いた平地より、草付きを斜めに20m一杯の懸垂下降で滝上に降り立った(7:30~40)。またも、小滝を越え、チムニー状の5m滝の下でポリタンに水を詰め、左の涸れたルンゼにはいる(7:50)。どんどんよじ登って行くと、ルンゼは苔むした原生林の中へ消えて行き、縦横に走るけもの道を利用してひたすら登り、小岩峰をザイルをつけて1ピッチ登ると

まもなく八経ヶ岳山頂に登り着いた(9:15)。秋晴れの日差しのもと、早速、濡れた渓流タビを、乾いた運動靴にはきかえるなど沢支度を解くと、解放感、爽快感が体中に拡がる。南方には釈迦ヶ岳が霞んでいる。稜線の木々は色づきはじめている。眼下には、遡ってきた白川又川がはるかかなたから這いあがってきている。思いかえせば、いままで遡った沢の中で最も厳しかった沢だったけれども、最高に充実した遡行であった。

 充分に憩った後、山頂を後にする(10:05)。三階建ての大きな山小屋を建築中の弥山を経て、奥駆け道を北上する。途中、小谷川へ降りる三本栂コースへ入るのだが、分岐点に道標はおろか踏み跡さえもなかったので、一時はどうなることかと思ったが、地形を読んで100m程下るとしっかりした踏み跡や道標が現れほっとする(13:15)。気持ちの良いぶな林の中を下って行くと、林道に飛び出した(14:20)。左すると、小谷川林道へ、右すると、入山日の大栂山林道に通じると思われる。横切って、再び尾根道を行き、コクワ小屋分岐(14:35)より左の道をひたすら下ると、廃屋同様のコクワ小屋に着く(15:05)。ここで、道が分からなくなり、廃道に迷い込んだのではと、最悪登り返すことも覚悟したが、小屋の向こう側へ強引に回り込むと道らしきものがあり、まもなく、小谷川林道に飛び出した(15:20)。あとは、林道をのんびり下って、愛車のもとへ帰り着いた。小谷の食堂で晩飯を済ませた後(17:00)、ひたすら車を交代で走らせ、20:40に自宅にたどり着いた。


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