北海道日高・カムイエクウチカウシ山~幌尻岳
1987年8月1日~8日
パーティー:L私、家内
<8月1日>
冷夏の北海道、千歳空港に降り立つとセーターが欲しくなった。
<8月2日>
テントをたたみ、ゲートを越えると、札内川林道はまもなくとだえ、川歩きとなった。途中、下山者に「上には羆がいますよ」と脅される。
八の沢に入ると川幅は狭くなり、足元をオショロコマ(イワナ)が走り回る。早速釣竿を出すが、ごはん粒、ソーセージのたぐいで面白いほど簡単に釣れたので、二人とも歓声を上げる。
私はテント場にてゆっくり賞味したかったが、家内が「あかんで、クマがかぎつけるで」と真顔で心配するので、三俣で焼いて食べたが、油がのっていてなかなか旨かった。
雪渓に埋もれた三俣より滝の連続となり、右に左に巻いて急激に高度を上げ、ようやく幕営地八の沢カールに着いた。
ここは、高山植物の花々が咲き、清流の流れる別天地で、本来なら「こんな良いところを我々二人だけで独占できるとは!」となるところだが、実は違う。そのわけは、かたわらにある遭難碑を見ればわかる。「○年○月○日福岡の大学生3名、2日3晩にわたり、人食い羆のため、ここにたおる」
さて、日も暮れてきた。寝る前に「クマよ、くるなよ」とばかり、爆竹を連発する。とたんに遠方で岩崩れの音。「クマが動いたんやで」と二人で顔を見合わせる。
この夜は私はなかなか寝付かれなかった。横では家内が寝息を立てている。いつしか、うつらうつらとしかけたその時、一斗缶を蹴飛ばすような音に続いて、足音のような音。思わず「クマや!」と叫んでしまったので、家内も飛び起きる。おそるおそるテントから顔を出すが、あたりはシーンと静まり返って何事も無かったかのようである。
「ビクビクしてるからやんか!」と家内にたしなめられ、再びうつらうつらする。ふと、家内を見ると、繰り返し手で何かを払い除けるしぐさをしている。果たして、夢の中でクマに襲われていたのであった。「払いのけても払いのけてもテントの右から左からクマが手をかけてくる。これは駄目だとテントを脱出して山を駆け下った。やっと、ふもとの牧場に辿り着いた。たくさんの牛がのんびり草を食んでいる。やれやれと思ってよく見ると、牛ではなくて、クマだった!」ということでした。
<8月3日>
無事一夜が明けると、鈴を鳴らし、笛を吹きながら、他パーティーが登ってきた。どうやら、ここで幕営する命知らずは我々だけだったようである。
霧雨の中、カムイエクウチカウシ山を踏み、踏み跡を辿り、ハイマツをかき分けて、北へ縦走に移る。北上するのは我々だけのようだ。美しい花々が我々を慰めてくれる。
今夜は十の沢カール泊の予定だったが、今にも霧の中からクマがぬっと姿を現しそうに思われ、休憩もそこそこに水を汲んで登り返し、尾根で幕営した。小用を足しに家内が外へ出ていった、と思うまもなく、テントの入り口を開けて、「クマがおる!クマがおる!」「どこにもおらんやんか」「いや、うなり声がする」「えっ!?ほんまか」と耳を澄ませると確かに音がする。が、それは飛行機の爆音だった。やれやれと2人で大笑い。
<8月4日>
再び北上して、霧の中、エサオマントッタベツ岳の北カールの清流のほとりにて幕営。
まもなく風雨が強まる。ラジオでは、大雨・暴風・洪水・雷と警報のオールスター戦だ。しかし、下山したくとも、沢下りしか道はない。逃げ込む山小屋もない。我がエスパースマキシムがひしゃげる程の風雨であったが、幸い浸水もせず、2日3晩を持ちこたえた。6日に学生パーティーが到着。
<8月7日>
青空が広がったものの、増水した新冠川右俣を学生パーティーと前後して下る。10m滝は左側からへつり下るが緊張。
ゴルジュは水勢が強く緊張する。新冠二俣より、左俣を遡上するが、ゴルジュを抜けたところでタイムリミット。
<8月8日>
美しい七ツ沼カールに飛び出す。カムエク八の沢カール、ペテガリCカールとともに日高3大カールの一つであり、岳人憧れの聖地でもある。沼をじゃぶじゃぶと渡り、
再び、悪化し始めた空模様に急かされるようにして、日高最高峰・幌尻岳に立った。はるかかなたに黒々とカムイエクウチカウシ山が望まれ、感慨無量であった。
そして、依然として増水した額平川を苦労して下り、夜は、振内の町の旅館で、8日ぶりに、枕を高くして眠れたのであった。
悪天候にたたられはしたが、美しくも野生味あふれた日高の山々、忘れ得ぬ山行の1つとなった。